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語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

優秀だけど会社員に向かない人と希望の道

労働、ブラック企業

 生きる上で仕事をすることは欠かせない。

 一応、一定程度の年齢までは親に依存することができるし、女性なら夫を働かせることで専業主婦をやるという生き方もある。

 しかし、基本的には大人は働かないと生きていけない。労働は必要悪なのである。

 

 その必要悪の労働ですが、現代社会ではどんどん自営業でやっていけなくなっており、会社員として働かざるを得ない人が多くなっています。

 具体的な数値を出すと、1990年に1395万人いた自営業者は20年間に半分になりました。

日本の自営業者データ 541万人 労働人口の11.4%

 田舎に住んでいると、「大手が進出することで個人経営のスーパーや飲食店が駆逐される」という状況・様子がよくわかるのですが、なんと20年前の半分まで自営業が減っていたのですね。

 

 

 そういうわけで本人が望む望まないに限らず、現代では多くの人が会社員として生きるしかなかなか選択肢がないという状況に追い込まれているわけです。

 優秀であれば医者になる、弁護士になる、経営者になるということができます。一定以上のスペックの女性ならよき夫となる人を見つけることで専業主婦になったり、主婦メインでたまにバイトをやるという緩い生き方もできます。

 しかし、そうでない人たちはなかなか会社員以外の生き方は取りづらいのが実情です。

 

 ネット界で有名な方でいうと、あのphaさんやイケダハヤトさんといったどう見ても一般的な会社員に向いていない人も、ひとまずは会社員として生きてみるしかなかったのです。

 phaさんはカリスマニートネオニートと言われてノマドワーカーの代表格になっているところがありますし、イケダハヤトさんも都会から離れて生きたいサラリーマンの羨望の的になっています。

 どちらもネット界では有名なすごい人でなのですが、彼らの書いている記事を読むと、ただ単に一般的なサラリーマンという生き方が全く自分にあってなかったから今のような生き方をせざるを得なかっただけという側面が強いのです。

 好きで自由に生きたのではなく、生きるため壊れないために仕方なく一般的な会社員以外の生き方をした。そういう側面が強いのです。

 

 phaさんは京大出身ですし、あれだけ叩かれているイケダハヤトさんも確か早稲田出身。お二人とも多くの人の心に残る文章を書ける人であり、新しい生き方を具体的に見せることで多くの人の人生設計に影響を与えている優秀で優れた頭脳を持っている人であることは間違いないでしょう。

 しかし、そういう優秀な方でも自分に合わない会社員という生き方を選択するしかなかったわけです。彼らのように優秀ではあっても、会社員の生き方にあわないという方は、1億2千万人も人がいる日本ではいっぱいいるでしょう。

 

 

 そういう人は、会社員という生き方があわないだけで、もっとゆるい生き方ができれば、苦しむことなく生きられる方も多いでしょう。自営業や大学教授みたいに自分で働き方を選択できれば、自分の力を最大限に発揮でき、よりよく生きられるのだと思います。

 しかし、現代社会ではそういう緩い生き方ができずに苦しみ最悪つぶれてしまう…このことは社会にとっては大きな痛手としか思えません。働き方次第では社会に大きな利益をもたらせていたはずのところが、利益を生み出すことができなくなり、最悪つぶれてしまうことで国に損失を与えてしまうわけですから。

 

 日本の教育はサラリーマン養成所とも揶揄されるシステムではありますが、人間は元々サラリーマンをやるために生まれ育つものではないので、当然会社員にまるで合わない人は出てきます。

 そういう方は昔であれば自営業という逃げ道があったのです。しかし、今はその逃げ道が閉ざされている。逃げ場がない。

 

 

 私も会社員に全く合わない人間の典型例で、だからこそ弁護士としての生き方を志望したというところがあります。本当は専業主婦をやりたかったんだけど、養ってくれる人がいないんだよ!

 というのも、私は子供のころから自由をこよなく愛する人間であり、自由がきかないというのが本当に苦痛という性質を持つ人間でした。

「午前8時半に登校?成長期の子供は十分に睡眠時間を確保するべきであり午前10時ぐらいの登校にしたほうが健康にいいでしょ」

「昼食時間が固定されているなんておかしい。そら授業中に食べるのはダメだけど、休憩時間中にご飯を食べるのが何故禁止されるのか。おなかがすいたら授業にも集中できないでしょ」

「好きな靴、好きな靴下すら選べないとかわけわからん。業者との癒着のために生徒の自由を奪うことがなぜ許されているのか」

 

 昔からこんな感じでとにかく非合理な規律、規則によって自由が制限されるのを嫌うところがありました。

 当然会社における非合理な規律や規則(上司の言うことはおかしくても絶対に聞かないといけない、非効率な仕事方法でも疑問を呈することすらせずに従わないといけない、好きな時間にご飯を食べることすらできない、好きな時間に休むこともできない、最悪ご飯を食べることもできない)に縛られ、不当に自由が制限されるのはこの上ない苦痛だったのです。いや別に不当でなくても、自由が制限される時点でもうとんでもなく苦しいのです。おそらく本来は日本でなく、ドイツやフランスなどの国で生まれるべき人間だったのでしょう。

 儒教精神や協調主義(全体主義の方が正しいか)が悪い形で染みついた日本では、自由を制限する命令、規律、規則、規範には従うしかないわけです。勿論、それが合理性を有していなかったとしても。それどころか疑問をもつことすら許されない。せめてそれぐらいは許してよとつくづく思いますが。

 

 

 努力すること、仕事をすること自体は嫌いではないし、むしろ誰にも負けないぐらい真剣に取り組むわけですが、同じ時間に同じ格好で同じ場所で同じようなことをやり続ける…そういう自由を長時間制限されて、会社のために自分の人生をささげる会社員の生き方というのが絶望的に合わなかったのです。

 昔から「勉強して偉いね」「頑張ってて偉いね」みたいなことは数えきれないほど言われましたが、自分が到底会社員として生きられると思っていなかったから、生きるためにはそうするしかなかった。それだけの話だったのです。

 

 そんなこんなで会社員という生き方に苦しめられていて、一般的な日本の会社員に向かない。そういう人に残された希望の道が、ネオニートノマドみたいなゆるい生き方なのです。

 羨望のまなざしでそういう生き方をする人を見ることはわかりますが、叩くのは理解不能です。

 そういう人は自分勝手でそういう生き方を選択したのでなく、そうするしか選択肢のなかった可能性が高いわけですから。