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語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

高学歴はマイノリティーという恐怖

社会 高学歴

 今も昔も、官僚、学者、大手企業の重役、政治家は高学歴ばかりだ。

 特に官僚なんて今でも東大卒が半分近く、京大卒が1割ちょっとを占めており、東大と京大で過半数を占めている。そのほかの出身大学もだいたい名門である。

国家公務員I種採用者の出身大学ランキング(平成23年度) - 国立大学職員日記

 結局、今も日本の根幹をなす組織で働き、日本を率いている人々の多くは高学歴なのであろう。

※ここでは、大学進学率が上昇した現在の状況に合わせて、有名大学出身=高学歴と定義しています。

 

 

 高学歴の人間が重要な影響力を持っているのは確かである。

 一般論でいうと、高学歴の人間は、必死に努力して高い能力を身に着けた人が多いから、そういう人たちが重要な影響力を持つことはもっともなことである(例外も少なくないだろうし、どうかと思うことも多いけどね)。

 むしろ判断能力が高く合理的な判断をする可能性が高いと思われる高学歴の人たちが権力を有していたほうが、基本的には、国がマシな方向に動く可能性は高いだろう(やっぱりそうでないことも多い気がしてならないけどね)。

 

 学歴がない人というのは、どうしても持っている知識や理解が不十分であることが高学歴の人より多い。

 必死に物事を調べ抜いて物事を考え抜き合理的と思われる解答を出す能力という点では、どうしても高学歴の人間に分がある。

 例外はいくらでもあるものの、基本的には、高学歴の人間が、経営判断・政策判断など重要な判断をするほうが、おそらく合理性の高い判断がなされる可能性が高いのである。

 

 

 しかし、高学歴の人間はマイノリティーだ。

 大雑把に言うと、一学年には100万人ほどの人間がいるが、その中でも東大に行く人は3000人ほどだし、京大も同程度である。※1

 現代の時代、どこまでを高学歴と読んでいいのかは悩みどころだが、とりあえず、一橋と東工大と阪大は間違いなく名門だろう。しかし、それらを含むとしても、人口の1%程度にすぎない。

 他の旧帝国大学も入れよう、それらを入れるなら当然慶応や神戸も入るだろう、おいおい早稲田も忘れるなよ、おっと医学部忘れてたなどと言い出したところでもせいぜい人口の5%あればいいレベルである。

 上で挙げられなかった大学の出身者の方はもうしわけない

 

 どう定義するかにも依るのだが、とりあえず上のガバガバな定義に従うこととすると、世間で高学歴を呼ばれることの多い人たちというのは、せいぜい人口の5%ぐらいしか占めていないかなりのマイノリティーなのである。

 何と少ないことだろうか!LGBTの人たちの方がまだマジョリティーかもしれないレベルだ。

 

 

 数が少ないというのはそれだけいろんな面で不利になる。

 例えば、マイノリティーは選挙に勝てない。
 高学歴の優秀な人間たちがいくら必死に警鐘を鳴らしても、大衆が愚かな政治家に扇動されれば、高学歴の人間たちの必死の呼びかけは実らないのである。数の暴力で押し切られてしまうのである。

 

 似たようなことはすでに高齢者に行われているだろう。政治家は高齢者を優遇する政策ばかり掲げて、票を取ることに尽力する。持続可能な社会の実現、合理性ある政策の実施という観点を無視してまで、マジョリティーを優遇するおそれがあるのだ。

 高学歴でない人たちについてそれと同じ状況が起きてしまうおそれが十分にあるだろう。

 


 日本で高卒以上の人は世界史を勉強したはずだから(さすがにもう履修漏れの人なんていないよね?)、衆愚政治という言葉を聞いたことがあるだろう。

 過去の戦争は、軍の人間が暴走しただけでなく、一般大衆が望み支持したものも多いことも知っているだろう。
 日本人はなんだかんだで一部の高学歴の人間以外もある程度の知性はあるし良心もあるから、一部の人間しか暴走しない、衆愚に陥らない可能性は高いと個人的には信じたい。

 

 しかし、愚かな大衆がその時代の為政者に扇動されることは歴史上珍しくない。

 歴史上の話どころか現在でも、ドイツなどでネオナチ政権が台頭してきているし、米国でトランプに大衆が簡単に扇動されている。

 それらをみると、大衆は簡単に扇動されてしまうという絶望を感じざるを得ない。人間の頭脳なんて人種や時代でそこまで劇的に変わるわけではないだろうから、日本も多かれ少なかれ同じであろう。

 

 高学歴の人間は、合理的判断ができるから安全で、そうでない人々は危険というのはさすがに酷い偏見であるが、しっかりとした知識や理解を兼ね備えていて合理的な判断を行える可能性の高い高学歴の人間がすごくマイノリティーというのは、やはり恐怖を感じさせる事実である。

 

 

 散々高学歴でない人たちをdisってしまいましたが、私がこんなこと言うのも自分自身が公立中学出身な上で京大阪大神戸大の人々を間近で見てきて、高学歴の人たちとそうでない人たちの歴然とした差を目にしてしまってるからなんですよね。

 コミュ力とかの差はそんなにないですが、政治や社会政策の判断能力なんかはもう比べ物にならないぐらいの差があります。持っている情報量、知識、理解の深さ、それをいかに使いこなせるかという点の違いは非常に大きいです。なにせその点の努力・訓練の量や経験が違いますからね。

 あと、高学歴の人間ですら、判断能力がガバガバでかなり怪しい人って本当多いんですよ。そう考えると、合理的に判断をするだけの高い能力を持つ人は本当限られてきます。

 合理的な判断能力のある人がかなり少ないというのは、衆愚政治を生み出す原因になりますし、恐怖を感じざるを得ない。

 世間的に良い大学に行った人ほどこの手の恐怖感、危惧感を感じているのではないでしょうか?

 

 

※1:かつての保健学科、現在の人間健康科学学科の一部専攻を、名門として高学歴に入れていいのかは怪しい。それを抜くとすると、京大の入学定員は1学年2800人ぐらいになるだろう。