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語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

落ちること、落ちたときのことはあまり考えない方がよいかもしれない

 「不合格になったときのことを考えたら、恐怖と絶望でやってられない。勉強も手につかなくなってしまう。」
 「不合格になったときに、どうするかはそのときに考える。」
 司法試験に合格した人を見てみると、結構こういう発言をしてたり、こういうスタンスを取っていたりした人が多い。


 一般論としては、将来のことを考えない・失敗したときのことを考えないというのは不真面目だと責められることだし、実際それで失敗している人も多い。

 上の発言等をした人たちは、元々、素質や適性に優れ、あまり不合格のことをしっかり考える必要がなかった人だから上手くいったというのもあるし、安易にまねしてはいけない。

 

 しかし、確かにダメだった時のことを考えないというのは一つの策だと思うし、むしろ司法試験や有名大学の受験といった難易度の高い試験についてはそうするほうがまだいいかもしれないとも個人的には思う。

 今回はそういう話をしたいと思う。

 

 

 よほど才能に恵まれている人でない限り、「本当に自分にこの道は向いているのか」「これだけ頑張っても上手くいかないんじゃないか」「ダメだったらどうしよう」とどうしても色々と考えてしまうものである。

 

 しかし、不合格になること、不合格になったときのことをじっくり考えていると、それだけで大量の時間が持っていかれる。

 本来であればじっくり勉強に使えたはずの時間が、いつの間にか消えてしまうのである。

 これでは合格は遠のいてしまうのも当然だ。

 

 

 そして、そういうことを考えていると、気分が落ち込む。
 いや、気分が落ち込む程度であればよい方だ。

 「失敗したらどうしよう」、「世間からニート扱いされてしまう」、「生涯賃金が○○○○万円も落ちてしまう」などと次々に余計なことを考え込んで、勉強が手につかないほどの状態になる人は実に多い。


 それどころか精神に異常をきたす人も当然いるし、最悪の場合は漠たる不安を感じすぎてこの世から離脱してしまう人までいる。
 どこかの議員の息子も司法試験に2回落ちて自殺してしまったし、真面目な人ほど真面目に人生や将来を考えすぎて、不安や恐怖、絶望で精神が壊れ人生まで壊れてしまうおそれがある。真面目なのも考えものである。

 

 

 そういうわけで、不合格になるリスクを直視しすぎたり、不合格になったときのことをシュミレーションしすぎるとデメリットや危険性が増えて、何も考えないよりかえって悪手となることもあるのである。

 

 だいたい、難関試験に合格していく人というのは、余計なことをほとんど考えていない人が多い。「ダメでも生きては行けるっしょ」みたいな感じで割と適当な人の方が受かっていたりする。

 勿論実力があるから適当でいられるというのもあるが、色々ネガティブなことを考えすぎて自信を無くし不安に苛まれ続けるというのはあまりにストレスが大きいし、考えすぎないから上手く言っている面もかなりの程度あるだろう。


 なので、いっそのこと合格することだけを考える、不合格になったときのことはほぼ何も考えないという不真面目なスタンスをとるのもありだと思う。

 そっちの方が、無駄に時間や労力を取られることなく合格の可能性を高められるし、精神が闇に飲み込まれる心配も減る可能性が高い。まだプラスの方が大きいのではないだろうか。

 合格してしまえばこっちのものわけだし、不合格になったら云々ということを考えすぎている暇があれば、いかに成功するかの策を徹底的に考えた方がよいのでないだろうか。

 


 といっても、さすがに一切考えないとなると、それはそれで危険すぎると個人的には思うので、失敗したときのリカバリー策、保険となる策を多少は考えておいた方が良いとは思う。

 「京大きつそうなら阪大にしよう・阪大もきつそうなら神戸大にしよう」みたいなリスク管理は大事だし(神戸にすら落ちたらどうしたらいいんだ、1年間こういう勉強をして云々まで考えてはいけない)、「司法試験と並行して公務員試験も受けよう」と保険をかけようとすることも大事である。

 

 一応、それぐらいは考えておいた方が良いとは思う。しかし、それ以上のことはあまり考えない方が良い気がする。考えすぎるとキリがないし、受験の闇に飲み込まれてしまうおそれもある。