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語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

漢文の重要性は割と高いかもしれないと思い始めた

 今でもセンター試験や一部の国立大学の二次試験では、漢文が出題されます。

 漢文は必要となる勉強量の割に点が稼ぎやすいと言われており、さらにやればできるがやらないとできないという側面が強い科目なので、受験では割と重要度が高い科目です。

 

 ただ、今回話すのは受験と離れたことで(受験で漢文がある場合に大事なのは言うまでもない)、思ったより漢文は人生を歩む上で大事かもしれないという話です。

 「漢文なんて今の時代いらんやろ」という方も多いでしょうが(私も昔はそう思っていました)、優先順位はさておき、意外と大事ではないかということを語りたいと思います。

 

 

○漢文から学べること

 漢文はとにかく読みにくいですし、読めたからと言って直接ビジネスに使えるというわけでもありません。

 しかし、漢文で書かれていることは、1,000年以上も伝えられてきたありがたい教えや話が非常に多いです。


 それだけの期間多くの人に大事なこととして語り継がれてきたことから分かる通り、物の見事に人の本質を分析して生まれた教えが多く、時代を超えて通用したものが非常に多いです。おそらく現代でも通用するでしょう。
 それらを読めば、よりよい人生を歩むための教訓、ヒントをいっぱい聞くことができます。

 

 特に十代の人は残りの人生が長いですし、どういう人生を歩むべきかしっかり考えるべき時期にあります。

 漢文を通じて、古くから伝わるありがたい教えを吸収する必要は高いでしょう。ありがたい教えを聞くことで、人生において適切な選択をし、人生を豊かにするのに役立たせるべきです。
 そう考えると、読みにくくて読解の手段を理解し、読解方法を習得するのにやや時間がかかるといえども、そのデメリットを潰すぐらいの教えを吸収できるのではないでしょうか。

 

 

○時代を超えて通用するというところがミソ

 勿論、現代文等でも様々な素晴らしい話や教えを目にすることはできますが、「その時代において素晴らしいこと」を言っているだけのことも多く、その素晴らしいことが時代が変わったときにも通用するかは怪しい場合も少なからずあります。

 

 時代は変わっていくものであり、世の中の事実関係が変われば、当然常識も変わり、あるべき規範も変わっていきます。老人は死ぬのを待てばいいかもしれませんが、それ以外の人はちゃんと時代の変化についていかないといけません。

 

 ですが、時代が変わり変革が求められるときに、昔のある時代にのみ通用したことしか学んでいないと、「ちょっと前にはこれで通用したのに今では全く通用しない。どうしたらいいんだ。」と混乱して、新しい事象には対応できないという事態になりかねません。

 バブル期の常識に染まって思考停止している人が散々迷走していることから、それはお判りでしょう。

 

 そのため、新しい事象に対応するために、特定の時代にしか通用しないこと以外も学んで対策を練っておく必要があります。

 新しい事象に対応し状況を打開するため、いわば、使えそうな武器を一つでなくたくさん用意しておくわけです。

 新しく出た問題がどれだけの強敵かわかりませんし、1000年以上前からの先人たちの知恵の結晶をフル活用して立ち向かえるようにしておくことで、来たる事象に備えるわけです。

 

 いつの間にかポエマーになってしまいましたが、要するに、新しい事象に対応するための武器として漢文を利用できるのです。

 例えば、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」「故に勝を知るに五あり」といった教えなんかは、今でも新しい事象に対応する際に利用できるでしょう。昔の人が残してくれた素晴らしい武器を使わない手はありません。

 

 こういうことをお偉いさんがよく理解していたからこそ、教養として長らく漢文が学ばれていたのでしょう。何も「他にやることがないから」、「子どもを苦しませたいから」という理由で、昔の人たちが子どもに漢文を暗唱させていたりしたわけではないのです。

 インテリサラリーマンが兵法を読むのも、ただの趣味ではなく、ビジネス等で活用できる教えがいくつかあるとわかっているからなのです。

 

 

 現代ではITリテラシーなど必要な教養が増えており、優先順位は考えないといけません。

 しかし、今の時代でも、時代を超えて通用するだろう素晴らしい教えをくれる漢文はなんだかんだ言っても重要ではないでしょうか。