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語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

容姿格差・容姿差別が酷すぎる社会 ブスが子どもを産んではいけないのか

 どこの国、いつの時代でも美人はもてはやされ、ブスは憂き目を見るにあるものだが、ネットでは人の本性が顕れやすいこともあり特にブスに対する発言は酷い。

 一般的にルックスに恵まれない人扱いされているスポーツ選手やお笑い芸人が妊娠したとなると、それこそ「ブスは子どもを産むな」「生まれてくる子どもが可哀相」とまで言われる始末である。


 いくらネットでもどうしてそこまでの差別発言をするものかと人間性を疑うレベルであるが、思えば容姿に恵まれない人が酷い目に遭い心無い言葉を浴びせられるのは別にネットに限った話でない。
 むしろ顔の見えないネットより実社会の方が酷いかもしれない。社会生活を営む上では色んな局面において、容姿に恵まれない者が多大な不利益を受け、苦しい思いをするものだ。

 
 「容姿に恵まれるか否か」という本人の力では変えることが難しい事情によって、大きな格差が生まれ、社会的評価・扱いが変わり、不利益を受けたり多大な苦しみを味わったりするわけだが、以下に容姿によって生じる差を簡単にまとめたいと思う。

 

 

○容姿によって経済面での恵まれやすさが違う

・年収面
 容姿が良ければ、面接で有利に働くのは間違いない。

 日本企業の場合、資生堂みたいな会社を除けば面接官は男性が多いだろうし、当然世のおじさん方はブスより美人の方に入社してほしいと思う傾向があるものだ。

 男であっても、背が高くてイケメンの方が、背が低めで見た目がぱっとしない人よりも評価されがちであろう。「人は見た目が9割」と言われるが、そのタイトルの本によれば、外見からの情報に基づく判断が93%を占めていて9割以上である。だいたい身長が185cmと165cmではスーツを着たときの見栄えからして違うのは否めないし、意識的にしろ無意識にしろ有利不利が大きく分かれるだろう。

 

 ソースがソースなので具体的数値は怪しいが、生涯賃金がうん千万違うと言う人もいるし、実際入る会社によって生涯年収に2000万、3000万円の違いは普通に出るものなので、容姿に恵まれない人は年収面で結構な憂き目に遭っていると予想される。

www.dailyshincho.jp

 

・結婚面

 容姿に恵まれていれば、当然結婚相手も選びやすくなる。多くの候補者からよき人を選択できるという素晴らしいことができるため、より良い伴侶を探し出すことが期待できる。

 しかし、容姿に恵まれない人には選択肢が少ない。そもそも恋愛が市場化した現在においては、結婚どころか交際相手すら見つけるのが困難になってしまう。

 それこそ、私の母のように「私には他に相手なんてできないと思ったから、結婚を焦ってしまった。」とかいう悲しい言葉を発することになる可能性が上がってしまうのである。選択肢が少ないというのは大きなリスク要因なのである。

 

 また、一般には女の容姿のことばかり注目されるが、恋愛や結婚が市場化した現在では、男の容姿も凄く重要になっている。

 というのも、女は恋愛・結婚相手の容姿に設けるハードルが高い。男は割と色んな女を好きになるものだが、女は一部の男に人気が集中する傾向があるものだ(20代の交際率を見ても、男女の率には10%ほどの差があることが多いし、異性に見向きもされない人は男に多い。)。

 

 それこそ、20代の男ですら7割ぐらいは恋愛対象外(結婚の場合は他の要素次第で妥協するが)、30代の男ともなれば9割ぐらいが恋愛対象外と考えてそうな女も少なくないのではないだろうか。

 それに男は身長でも厳格な審査をされてしまうし、化粧という裏技も使えない。

 一応、収入や安定性、人柄で補えるところがあるのは救いだろうが、女から容姿によって加点されることは少ない一方、容姿による減点又は失格は多いのではないだろうか。

 


○社会的評価、扱い

 容姿は何も恋愛や結婚だけで大事なのではなく、社会生活を営む上でも武器であり、パワーである。

 同性間の関係であっても、容姿に恵まれている人は舐められにくいし、堂々を振る舞いやすいものだ。


 その一方で、容姿に恵まれないということはそれだけでヒエラルキーが下になりやすいし、カーストでいう下の階級に行きやすくなる。

 女の場合は、美人が妬まれていじめを受けるというパターンもままあるかもしれないが、基本的にはやはり弱い立場の者がいじめを受けやすいため、ブスやブサイクはいじめの対象になりやすい。

 それに、異性にモテずに悲しい思いをして、色々こじらせてしまう確率も当然高くなる。


 勿論、容姿以外の点が優れていれば、容姿が多少悪くても挽回できる可能性はあるが、やはり容姿に恵まれないというのは多大なディスアドバンテージである。

 必死に努力して有名大学に行ったブスの女より、ろくに勉強もしなかった美人の方を社会が高く評価するなんてざらにあるし、理不尽がまかり通っているものだ。
 だいたい、容姿に恵まれている人は、コンプレックスや苦しみ、辛さを味わわなくて済む分、変なストレスを受けなくて済むので、容姿以外に自分を磨くことにも力を入れやすくなる。結局、美人が丸儲け、ブサイクは丸損なのである。

 


○対自分の問題

・自己肯定感が低くなる
 ここまで他者や社会の評価といった観点から物事を語ってきたが、容姿に恵まれない人はどうせ自分はブスだからと自分を肯定しづらい・自信を持ちづらいという問題もある。

 一般的には、対社会・対他人の関係性・問題が語られがちだが、対自分の問題こそが最も問題なのではないかと私はつくづく感じる。


 というのも、良い思いをしたり周りに恵まれれば、精神的に余裕が生まれやすいし、「また頑張ろう」という気になりやすい。しかし、苦しみまみれの人生だと「どうせ自分なんて」「どうせこんな人生」と投げやりになりがちだし、頑張ろうとの気力すら生まれてこなくなってくるものだ。

・幸福度に大きな違い

 それに、容姿に恵まれた者は、鏡を見るたび「よし、今日も頑張るぞ」となるのに対し、恵まれない者は「そろそろ死のうかな…」となるのである。

 鏡を見るたび幸せになるのと、鏡を見るたび死にたくなるのでは当然人生の幸福の差に大きな差をもたらすだろう。何千回何万回も自分を肯定できるのか、自分を否定できるのか。その差はあまりにも大きい。

 私は不幸にも否定する側であったため、運命や神への怒りや憎しみから、もはや自分の中に阿修羅を宿している状態だ(あくまで比喩的表現であって統合失調症ではない。)。

 

 

 これだけの差があるのは現実ですので、「ブスは子どもを産むな」はいくらなんでも酷いと憤慨しつつも、どうしても私は「そうはいっても実際ブスは苦しみが大きすぎるからなあ」と複雑な思いに駆られてしまいます。

 

 自分の子に同じ不幸・苦しみを与えて良いのか、自分の子も自分と同じように死ぬほど苦しむのではないか、運よく生き残った自分と違って自分の子は自殺するのではないか…そういうことを考えざるを得ません(実際には容姿よりも精神疾患等の遺伝の方を気にしていますが。)。

 

 「この腐敗した世界」に堕とさないことこそが人としての優しさや誠実さではないかと思ってしまうのです。まあ、相手がいないので別にこんなに悩む必要もなかったな!