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語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

「ハイリスク○○リターン」でいうリスクの具体的意味【閲覧注意】

 昨日、現在の日本で最高クラスにリスクの高い試験である司法試験の合格発表が行われました。

 合格者数は遂に旧司法試験の末期である平成16年、17年と大差ない1500人台まで減少し、旧司時代と比べてもリスクが高いままであることが浮き彫りになりました。

 

 合格者が1500人台ということからお察しのとおり、「1700位ぐらいならワンチャンあるで!」と言っていた私は案の定不合格となりましたが(仮に合格してたら、「司法試験に受かったお前のどこに闇を語る資格があるねん!」と言われそうですし、ブログ的にはおいしいかもしれない)、せっかくなので、司法試験を例に「リスクを取りその危険が現実化してしまうとどうなるか」について具体的に語りたいと思います。

 

 自分が目指そうとする道に高いリスクを背負うだけの価値があるのか、安易に他人に「リスクを取れ」、「挑戦しろ」と言うことがどれだけ無責任なことなのかじっくり考えていただければ幸いです。

 

 

1.失ったお金は戻ってこない

 司法試験に限った話ではありませんが、高い難易度の目標を本気で目指そうと思うとどうしてもお金がかかってきます。

 司法試験の場合、多くの人は法科大学院を経由しないと合格できませんし、受験のプロである予備校を全く利用せずに合格するのは至難の業なので、大学・ローの授業料、教科書代、設備代、下宿代などの負担に加え、予備校の講義代、模試代などの負担がかかるのは必至です。

 法科大学院では国立でも年間約80万円の授業料負担がありますし、多くの人にとってはうん百万の費用がかさむことになります。

 

 そして、結局受からなければ、司法試験のために費やした期間に本来なら稼げるはずだったお金が失われますし、未修で3年目に撤退した場合だと6年分の逸失利益が消えることになります(勿論、法科大学院に行ったことでより良い就職先に行けたような場合は別ですが。)。

 行ける就職先も限られますし勤続年数が減るため、大卒すぐに就職していた場合と比較すると、生涯賃金は平然と1千万円以上減ることがほとんどでしょう。

 

 様々な費用や逸失利益を考えると金銭的ロスはうん千万まで行くこともままあるわけですし、よほどの富裕層でない限りこれはかなりの痛手です。

 まともにこの現実を直視すると狂うおそれがあるので、お金のことは深く考えない方が良いと思います(戒め)。

 

 

2.失った時間も戻ってこない

 お金についてはまだ将来的に取り返せるかもしれませんし、別に今後贅沢しづらくなるだけでそこまで問題ないという人も少なくないと思います。

 しかし、アディーレではありませんが、失った時間は帰ってきません。10代のころなどは人生は無限に続くような感覚があるかもしれませんが、人生は有限で時間は貴重なのです。

 それに、ただ時間が戻らないだけではなく、「人生で特に楽しい思いをすることができたかもしれなかった20代の期間を苦しく報われないまま過ごしてしまった」という悲しすぎる現実が残ります。

 

 本来であれば、同じ苦しい思いをするにしても会社でお金をもらいつつ実務経験も積めたでしょうし、上手くいけば結婚し子どももできたかもしれなかったわけです。

 また、勉強の時間を趣味に費やして色んな人に評価され、楽しい時間を過ごすこともできたかもしれません。

 それなのに、ただ苦労しただけで損ばかりしてしまったという事態になりやすいのです。

 

 一応、散々苦労したことで人間的に成長することもままありますし、そのことが他人から評価されることもありますが、そうはいっても苦労の量を考えると見返りとしてはあまりにも少なすぎるのではないでしょうか。あまりにも見返りとしては物足りないのではないでしょうか。

 

 

3.最悪命まで奪われる

 私は幸いにも公務員試験で拾われたので自殺する事態は避けられそうですが、司法試験で上手くいかなかった人を待ち構える未来は暗いことが少なくありません。

 公務員や会社員、司法書士、自営業、主婦などでそこそこ満足いく暮らしができる人ばかりではないですし、ブラックと呼ばれる企業で苦しみながら薄給で働く羽目になる人もいるでしょう。

 

 そして、10年近くも人生を賭けて一生懸命やってきたのに上手くいかなかったという現実に耐えきれる人ばかりではありません。

 他人がどうこう以前に自分が何より自分を許せないでしょうし、高く評価する人がいたとしても自分自身が自分を評価できず認められないのです。

 「何年もガチで頑張り続けられた凄い人間である自分を過小評価するな」という話なのですが、真に思いつめた人にはそういう声もなかなか届きません。

 

 世の中には「司法試験に落ちても命までは奪われない」という人がいますが、それは健康体だからこそ言えることであって、実際には命まで奪われてしまうこともあります。

 私のように司法試験以外で多くの苦しみを背負っているような人や、精神的に病んでしまった人なんかは命まで奪われかねないのです。

 

 

4.人生プランが大きく狂う

 何とか生きのびられる場合、何とか世間の敷くレールに再度乗れた場合であっても、大学卒業後結構経ってから本格的に働くことになるので、やはり人生プランは大きく狂います。

 20代のうちには結婚して出産しておきたいと思っていた人でもなかなかそれを実現するのは難しくなりますし、年収や精神的なショック次第では結婚もままならないでしょう。

 

 何とか修正がきけばいいのですが、修正が効かずに思い描いていた人生プランとはかけ離れた人生を歩むことになるおそれも強いのです。

 

 

5.大きな傷が残り続けることもままある

 他に満足いく職につけた人は、「そういえば司法試験を目指していたこともあったなあ」と深い傷もなく生きていけるかもしれません。

 しかし、満足いく職に就ける人ばかりではないですし、結局司法試験の世界に帰ってくる人が少なくありません。

 

 私の周りにも、サラリーマンを辞めて司法試験を目指すことにした人が何人もいますし、旧司時代の生き残りも何人かいます。

 また、再ロ―や失権後予備試験組の話もよく耳にするようになってきましたし、今後はそういう人が増えてくるでしょう。

 

 2ch辺りには未練たらたらっぽい人がよく出現するという話も聞きますし、いつまで経っても「司法試験に受かっていれば」という思いにとらわれる人は少なくないのでしょう。

 誰かが「夢と言うのは呪いだ。合格するまでは解けない」みたいなことを言っていましたが、呪いにかかったままの人も少なくないのです。

 

 

 世間では具体的意味の重さとは比べ物にならないぐらい軽く「ハイリスクハイリターン」と言いますし、司法試験などを目指す層なんてだいたい自分の頭脳に自信があって自分だけは大丈夫と思っているものですが、(ハイ)リスクの具体的な意味は上のようなものです。

 リスクというのは何とも恐ろしいものなのです。

 

 完全撤退するかは順位次第で決めますが、私はもはやこれだけのリスクを背負い続けるだけの体力・精神力が残っていないので、公務員にコンバートする予定です。9年ほどかけてきた事業を畳むような認識で、投手から野手にコンバートするかのような気持ちで臨みたいと思います(何やねんそれ)

 撤退というものは、太平洋戦争のときの日本みたいな壊滅状態になる前にしなければならないですからね。