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語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

貧乏をこじらせすぎた結果、一周回って貴族の思考にたどり着き囚われてしまった話【閲覧注意】

自分語り 社会

※食事中の方や過食症の方は閲覧にご注意ください。

 

 世間では、今でもNHKの貧困報道に対して数多くのバッシングがなされていますが、今日は私のとある昔話を交えて、貧困は本当悲しいという話をしたいと思います。

 

 

○小学生(主に低学年)のころの私の経済状況

 思い出すと悲しくなるのですが、正直あまり好ましくない経済状況でした。

 だいたい下のような状況があったのでお察しなのですが、少なくとも、JKうららよりは貧しい暮らしをしていたでしょう。

・両親が離婚する前提で話が進んでいたため、贅沢ができず着るものも満足に買えない

ネットでは評判の悪い公団暮らし

・祖父の事業の関係から債務の取り立てに追われ、親の代わりに電話に出て「親はいません」と言う羽目になったりする

・漫画など当然買ってもらえない。ゲームを買ってもらえる奇跡が起きたときには(1年に1回程度)歓喜のあまり狂喜乱舞する

 

 

バイキングで悲劇が起こる

 上みたいな状況だったこともあり、当然、外食で高いものを食べられる機会はあまり

なく、定食屋に行っても親に気を遣ってできる限り安いものを頼むような状態が続いていました(とある芸人のチキンライスという歌がまるで他人事じゃない。)。

 マクドナルドで当然のようにセットを頼んだり、レストランなどで水があるのに有料でジュースを頼むようなことは到底ありえない暮らしでした。

 

 その中で、珍しくそれなりに良いものを好きなだけ食べられる機会に遭遇すると、人はいったいどうなると思うでしょうか?

 あまりに貧乏をこじらせすぎた私は、「こんな千載一遇のチャンスを逃してたまるか」と言わんばかりに、高くおいしそうな料理を限界まで、いや限界を超えてまで食べるという暴挙に出てしまいました。

 

 それも1回2回やらかすなら他の人も経験しているかもしれませんが、私はなんとバイキングというものに遭遇するたびに過食症レベルまで食べるという暴挙に出ていたのです。

 というのも、子ども価格では千円ちょっとという別にさほど高くもない場合であっても、当時の私にとっては高額であり、「最大限に利益を回収しなければとならない」との謎の強迫観念に突き動かされてしまったのです。

 発想に至る経緯こそまるで違いますが、皮肉にも古代ローマの貴族と同じように食べるために吐くという思考に至ってしまっていたのです。

 

 さすがに毎度毎度そういうことを経験すると、人は懲りてきますし、周囲の他人を見て自分の異常さに気づいてきます。

 私は強迫観念に襲われるバイキング形式を心底嫌うようになり、さすがに親も見かねたのかそういうところにはまず行かなくなったので、貧乏をこじらせすぎた結果の悲劇はできる限り回避されることになりました。

 

 

○しかし今でも強迫観念に襲われる

 さすがに、歳を取り大人になってくると、食べるために吐く、吐くまでに食べるという暴挙には出ることは完全になくなりましたが、今でも食べ放題と聞くと限界寸前まで食べないともったいないという強迫観念に襲われます。

 

 それに、私は小食なのですが、大盛り無料と聞くと今でも無理に大盛りを頼もうとしてしまいます。三つ子の魂百までと言いますし、値段にして50円とかしか変わらなくて合理性がないとはわかっていながらも、強迫観念にとらわれがちなのです。

 

 さらに言うと、これは私だけではなく、私に看過されやすい弟も似たような状態になっています。

 十分にお金を手に入れられるようになった今でも、いらないのにとにかく量を最大にしてしまうところがあります。お代わり自由でお代わりをしないなんてことはありえないと言わんばかりです(弟は私とは食べる量が全然違うので、私ほど悲劇は経験していませんが。)。

 

 私も弟も別に食べるのに困るほどの貧乏ではなかったですし、ごくまれにはゲームを買ってもらえたりする程度に良い暮らしはしていたわけですが、幼少期に貧乏を経験してこじらせすぎたせいで今でもかつての貴族の狂った思想に囚われています。

 貧乏というのはこういう悲劇に襲われるものなのです。

 たまに千円のランチができたからといって「本当の貧困ではない」とか言っていたら、全国各地で悲劇は繰り返されることでしょう。

 

 というか、今や難民でも普通にスマホを持っていたりしますし、発展途上国の人の方が子どもをもてているわけです。

 「本当の貧困ではない」論を進めれば、スマホがあるなんて子どもをもてるなんて云々も通用するようになり、貧困の人なんてこの世にほとんどいなくなるんじゃないかと思えてなりませんね。