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語られない闇を語る

司法試験、大学受験、労働問題、社会問題などを中心に、あまり語られていない・語りつくされていない闇について語っていこうと思います。苦難と失敗から得た知見を曝け出していく予定です。

安易に「価値がない」、「役に立たない」と判断し、切り捨ててはいけない

 今年もノーベル賞受賞が決定する時期となり、ニュースでは大隅教授のノーベル医学・生理学賞受賞が話題となっています。

 

 大隅教授のノーベル賞受賞は実にめでたい事なのですが、昨今では、具体的な成果を出せないと研究費すらろくにもらえない傾向が強まっており、すぐに何かの役に立つものではない基礎科学などの分野の風当たりは強いです。

 

 それどころか、昨今の日本では、研究分野に限らず様々な分野において「役に立たないものにはお金をかけるべきでない」、「具体的に何か社会の利益となる成果の出ないものは価値がない」と切り捨てる風潮が強まっています。

 しかし、そういう風潮が根付くことは非常に危険であるという話をしたいと思います。

 

 

1.その分野のことをろくに知らない人による判断の合理性は怪しい

 人と言うのは、自分のもつ知識や理解、知性などを元に判断を行うものであり、「価値がある」、「役に立つ」という判断もその人の限られた能力の中で行われるものです。

 

 しかし、野球のことをまるで知らない人が、「この選手は見込みがないので価値がない」、「この選手は役に立っていない」と判断しても、的外れであてにならないことからわかるように、その物事をしっかり理解していないと合理的な判断はできません。

 野球で言えば、野球のルールを覚えてしっかり野球を見続けることは当然の前提でしょうし、UZRとかWARだとかの具体的指標を理解した上で分析を行わないとまともな結論は出しにくいでしょう。三振が多くてもその分四球も多いかもしれませんし、エラーが多くてもその分守備範囲が広く守備での貢献度は高いかもしれないのです。

 

 文学とか芸術とか、基礎科学などの研究も同じことで、素人判断でぱっと価値があるか役に立つかを判断しても、合理的な判断ができている可能性は低いでしょう。

 何をどれだけどのように評価して結論を出すべきかもわからないでしょうし、合理的な判断要素・要件をしっかり挙げて、それを的確に考慮して妥当と思われる結論を出すことなど困難です。

 

 それなのに、数が多い意見こそが正義といわんばかりに、その分野のことをろくに知らない「素人」の判断を重視してしまうとどういうことが起こるでしょうか。

 おそらく、価値があるものとないと判断したり、役に立たないものを立つものを判断して、社会全体がおかしな方向に行くおそれが強まるのではないでしょうか。そして、社会全体の利益は小さくなってしまうのではないでしょうか。

 

 

2.長期的多角的な視点をもって判断しないと合理性は乏しくなる

 素人判断とも関連することですが、物事には短期的に見るか長期的に見るかで評価が変わることが珍しくありません。

 短期間だけ見ると成果が出ないし役に立たないという場合でも、20年30年、50年60年、100年200年とスパンを広げて見てみると、実はとんでもない利益を生み出すものだってあるはずです。

 それなのに、短期的な視点しかもたないと、本来であればとてつもない利益や成果が出ていたはずなのに、みすみすそれを取り逃してしまう羽目になりかねません。それは個人はもちろん、組織や社会にとっても痛手でしょう。

 

 また、ある視点だけ見ると役に立たない場合であっても、いろんな視点から物事を見てみると実は役に立つ、価値があると判明することもあるはずです。

 例えば、変な形をした湯呑があるとしましょう。実用性と言う観点では形がおかしいし他の物を使ったほうがいいから価値がなく、観賞用という観点でも別に気に入ったデザインでもないし価値がない。

 しかし、骨とう品としてマニアの間では価値があり100万円で売れるみたいなこともありうるのです。

 

 そういうわけで、限られた視点からしか判断しないとなると、思わぬ利益を取り逃したり、思わぬ損害を被ったりするおそれがありますし、物事は多角的に色んな観点からじっくり判断しないといけないのです。

 ある派閥からお偉いさんが価値がないと言っても、他の分野に詳しい人の話を聞けば長期的には価値があるとわかるかも知れません。安易に一つの観点からの意見に囚われて「価値がない」、「役に立たない」と判断してはまずいのです。

 

 

3.人にとって、目に見えてわからない影響・効果・成果を加味するのは難しい

 また、人と言うのはどうしても客観的によくわかる事情に捉われがちです。

 具体的に売り上げを1000万円増やしただとか、コストを500万円削減したみたいなはっかりとした数値が出れば適切と思われる評価をできますが、数値として表すことのできない事情も少なくありません。

 

 例えば、文学や芸術などがそうですが、目に見えて何らかの利益があるわけではないものの、実は長きにわたって人の精神活動に影響を与え、人々の生活に彩を加え、人々に感動を与えたり、幸福にしたりするといった多大な利益をもたらしている場合だってあるわけです。

 仕事でも、別に飛び切り営業成績がいいわけでもないものの、実は後輩の面倒見がよく、ムードメーカーとして活躍しギスギスした空気を払しょくし社内環境を良好なものにしている影の貢献者がいたりするものです。

 

 パッと見ではわからない部分までしっかり考慮しないと、組織や社会に欠かせない人材・物を不当に冷遇して、多大な利益を損ねるおそれがあります。

 安易に目に見えてわかることだけを評価して判断をしてはいけないのです。

 

 

4.まとめ

 その分野における知識や理解をもち、長期的多角的視点を持ち、パッと見ではわからないこともしっかり考慮しないと判断の合理性は怪しいものです。

 合理的な判断をするだけの材料をもっていない人が、安易に限られた判断材料だけで「価値がない」、「役に立たない」と判断するのは危険なのです。

 

 まあ、もっと危険で厄介なのは、限られた判断材料しかもっておらず合理的な判断ができない事実があるにもかかわらず、そのことを本人はわかっていないし大衆もわかっていないということが少なくないところなんですけどね。